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報告書 「アメリカメイン州アップルドール島」での8日間
 
■ 愛知・豊田・大林小学校 井藤伸比古
□ 調査日: 2006.8.14〜8.21
  1 あの8日間は,一生の思い出
メンバー10名とジュリー先生
  思いがけないことでした。今年の夏は「花王・教員フェローシップ」メンバーの一員として,アメリカに行くことができたのです。 「花王・教員フェローシップ」とは,「花王株式会社がスポンサーになって,海外の野外調査プロジェクトに教員12名をボランティアとして派遣する」というものです。今年で3年目だそうです。 
  私は,それに応募して合格できたのです。そして,ふだんはできないことをいっぱい体験しました。私の生き方も考え方も,あの8日間以後大きく変わってしまったのではないか。今はそう思っています。
 今年の「花王・教員フェローシップ」には,6つのプロジェクトがありました。 カンガルー島,アイスランド,インド,アメリカワシントン州,ケニア、アメリカメイン州

 これらは,「アースウォッチ」という世界的な NGO団体が,募集しているプロジェクト(全部で130)の中からの6つです。アースウォッチの企画する調査研究は,「世界の各地で行われている野外調査に一般市民がボランティアとして参加する」というものです。日本にも支部があり,国内プロジェクトもいくつかあります。
 私が選んだのは、「メイン州の島の生態系」でした。そのいちばんの理由は,「それ以外のプロジェクトの時期に,他の仕事が入っていた」というだけのことでした。でも今は,「メイン州の島」を選んで本当に良かった,と心から思っています。
2 ことのはじまりは,「市民活動」
豊田市「新・環境学習施設」完成予想図
 私は,ちょっとだけ「市民活動」のようなことに関わっています。私の住む街に「新・環境学習施設」というものができることになり,それを作るための「市民会議」にボランティアとして参加しているのです(その活動を紹介してくれたのは,トヨタ自動車の運営する「トヨタの森」の原田さんです)。
 その「市民会議」を中心となって動かしているのは,「中部リサイクル」の坂本さんです。実は,その坂本さんが「花王教員フェローシップ」を紹介してくれたのです。

 その「応募要項」には,「環境教育についての論文(1200字ほど)を書く」,そして「応募されたレポートを審査して,合格者を決定する」とありました。つまり,自分の書いた文章を,全く私のことを知らない人が審査してくれるわけです。これは環境問題に少なからず関わってきた私にとって「またとないチャンス」に思えました。
 私は,要項を見てから,論文の構想をずっと考えていました。そして3月末に,まる1日使ってレポートを書きました。家内にも見てもらって,何度も直しました。そして郵送したのです。
3 合格通知は,夢のようだった
  ゴールデンウィークが明けたある日,パソコンメールの中に「アースウォッチ」という言葉を見つけました。それを,おそるおそる開くと,

井藤 伸比古様
先日は、「花王・教員フェローシップ」に応募いただき、誠にありがとうございます。この度選考会が行われ、厳選なる審査の結果、見事合格されましたので、ご案内申し上げます。おめでとうございます。また、ご参加されるプロジェクトは、以下のように決定致しました。「メイン州の島の生態系」(2006年8月14日〜21日)

 なんと合格してしまったのです。私の「文章」が認められたわけです。それはいいとしても,8日間(前後合わせて12日間)も,家を空けて一人でアメリカへ行かないといけません。まず「どうしよう」という気持ちになりました。
 また落ち着いて「参加要項」を見てみると,「現地集合,現地解散」でした。飛行機のチケットも自分で取らないといけないし,集合場所までも自分で行かないといけなかったのです。もうすぐ6月になろうとする時期でした。特に飛行機のチケットは早くとらないといけません。
 そうしているうちに,書類がたくさん送られてきました。「予防注射」をしたり,「健康診断」を受けたり,英語の「自己紹介」を書いたり,けっこう慌ただしかったです。
 特に『ブリーフィング』という冊子は,70ページほどありすべて英語で書かれていました。「参加要項」には「日常会話程度の英語力」とあったので,ある程度覚悟はしていたのですが「ブリーフィングを全部読んでおくこと」というのは重荷でした。でもその重荷が,けっこう快感だったのも不思議です。ワクワクして英語を読んだのも,いい思い出になりました。
4 いよいよ出発
集合場所のバスステーション
 そんなわけで,いよいよ8月12日。アメリカへ出発する日がやってきました。ちょうど前日に,イギリスで飛行機のテロ事件(未遂)が起きて,込み合った空港は緊張感がただよっていました。テレビ局も取材に来ていて,後で聞いたのですが,夕方のニュースに,出国手続きに向かう私の姿が写っていたそうです。
 名古屋からデトロイトで乗り換えて,ボストンに到着しました。そこで1泊した後,定期バスに乗ってポーツマスへ向かいました。そこは,日露戦争で有名なのですが,「小さな田舎町」という感じでした。もう一人の日本人参加者堀沢さんともそこで出会いました。ポーツマスで1泊して,翌朝バスステーションへ。そこが私たちチームの待ち合わせ場所だったのです。
 約束の12時が来るのを,小さなバスステーションで日本人2人でそわそわして待っていました。そのうちに,それらしい人が集まってきました。「ハロー。△◇※〜〜」いよいよ英語だけの世界の始まりです。
 指導者のジュリー先生の車で,船着き場まで行きました。ポーツマスから,船で1時間ほどのアップルドール島の「ショール海洋研究所」が私たちの8日間すごす目的地でした。
5 「ショール海洋研究所」とは
ショール海洋研究所が見えた
ショール海洋研究所
食堂はセルフサービス
ジュリー先生と私
 「ショール海洋研究所」は,コーネル大学(本部ニューヨーク)とメイン州立大学の研究所です。しかし大学関係者だけでなく,夏休みの子どもたちや一般市民のボランティアがたくさん来ていました。全部で100名ほどだったと思います。施設も整っていて,「食堂」「研究室」「実習室」「宿泊棟」など10ほどのプレハブのような建て物が並んでいました。携帯電話もインターネットも通じるし,食事もステーキ・ロブスターなど,ボリーム満点でした。 

  私は,この研究所を見て,まず「さすがアメリカは金持ちだ」「日本人の優秀な研究者がアメリカに逃げてしまうわけだ」と思ってしまいました。そこで,ジュリー先生に聞いてみました。 
  「この研究所って,お金はどうしているんですか」「研究所を運営するお金は,どこから出ているんですか」と。 
  ジュリー先生は, 「それは,ほとんど大学からだよ。卒業生とかの寄付も多いよ」と。
 私は「でもボランティアの人とか子どもたちもたくさんいるし,そういう人たちが出すお金もあるんじゃないの(内心,ボランティアをたくさん受け入れて,けっこう儲けているんじゃないの?)」と聞くと 「それもあるけど,大部分は大学のお金だよ」と。 

  あとでわかったのですが,この研究所はけっしてお金持ちではありませんでした。設立した人は,荒れ放題だったホテルの跡地を借りて,この研究所を開いたのです。今でも,土地はすべて隣の島のホテルからの借り物です。そしていろいろな人の努力で,施設を増やしてきました。さらに「研究をすすめるためには,少数の大学関係者だけではだめだ」ということで,早い時期から一般市民のボランティアを受け入れてきたそうです。子どもたちも泊まり込みで勉強に来るし,鳥類を専攻するアメリカ全土の大学生たちも研究法も学びに来るそうです。1年を通してどの時期にも,外部の人を受け入れる講座が組まれていました。 

  日本には,そんな開かれた研究所があるのでしょうか。アメリカ人参加者のジェフは「ショール海洋研究所は特別だ」と言っていました。アメリカでも,多くの大学の研究所は,一般市民からは縁遠い存在だそうです。そういえば,指導者のジュリー先生は,コーネル大学の助教授なのに,ちっとも偉そうではありません。若くてキュートで理知的で,ぼくはすぐに「ファン」になってしまいました。
6 「ショール海洋研究所」でやったこと
カモメをつかまえたホリ
1メートル四方の土地の植物サンプル集め
 私たちが,その研究所でやったことは,いろいろあります。まず「カモメをつかまえて,足に輪をつける」こと。それから,5つほどの島に渡って,それぞれの「植生」や「土壌」を調べること。研究室で,集めたサンプルを整理すること。そして研究者や大学生の研究発表もたくさん聞くことができました。
 アメリカの東海岸では,1800年代の後半に,海鳥が極端に減ってしまったそうです。それは,鳥の羽根をたくさん使った帽子が流行ったからです。中には,そのときに絶滅してしまった鳥もいるそうです。
 それが1900年代はじめに,「海鳥を保護する法律」ができて,鳥が再び増え始めました。ところが1970年頃からは,カモメだけが異常に増えているそうです。その原因は,「都会で捨てられて,海流に乗って流れてくるゴミ」です。カモメの食べているものの半分ほどは,人間の捨てたゴミなのです。それは,ちょうど「日本の大都会でからすが増えている」のと同じです。
7 メンバーとたくさんしゃべることができた
土の検査をするケン
土にどれだけ栄養分が含まれているかを,植物を育てて調べる
帰化植物を集めてサンプルに
 このように研究所では,いろいろな活動をしました。しかしそれ以上に良かったのは,メンバーや先生と,たくさんしゃべることができたことです。

 私たちのメンバーは10人でした。アメリカから6人,日本から2人,スペインから1人,南米スリナムから1人。職業は,教員(元教員)が6人,会社員が3人,高校生が1人でした。その時期は,アメリカも夏休みなので,教員が学生が多かったのでしょう。
 私は,「英語が通じるだろうか」とても心配でした。そこで考えたのが,「日本からおみやげをたくさん買っていく」ということです。百円均一ダイソーで「日本らしいおもちゃ」をたくさん買っていったのです。それを使って「あみだくじ大会」をやりました。日本のおかし(あられ。海苔つきがおすすめ)も好評でした。

 そんなことをやりながら,私の緊張もだんだん解けていきました。そうすると,ふしぎなことに,相手の言っていることもわかるし,私の言うこともわかってもらえるようになりました。映画のこと,食べ物のこと,教育のこと,経済のこと,たくさん話しました。「国ごとにそんなにも違うのか」ということばかりでした。「英語なんて1週間,アメリカにいれば,聞き取れるようになる」今は,そう思っています。
8 私がいちばんやりたかったこと
授業風景。左からケン,バーバラ
 
授業風景。
アナのくれた感想文
 せっかくアメリカまで来たのです。私がいちばんやりたかったのは,授業です。アメリカの人たちに,環境に関する授業がしたかったのです。それは,最終日に実現しました。
 《Penguins》という授業プランをメンバーにやってもらうことができました。それは友人である竹田かずきさんが作ったプラン《ペンギン》を,私が今回のプロジェクトに合わせて手直しして英訳したものです。「ペンギンを手がかりに,世界の海鳥全体を見渡せる展開」をめざしています。授業の構成,すすめ方は「仮説実験授業」という方法に従いました。
 参加者には「小学生になったつもりで参加してください」と言って,授業を始めました(授業記録は,資料参照)。
 授業後の感想文です(英語を日本語に訳した)。
エレナ(元教員,ミネソタ。エレナは,英語の苦手な日本人2人をつきっきりでめんどう見てくれました。特に「英語の発音」の先生でした) 
  「この授業の方法は,おもしろい。アメリカでも議論をするということはあるけど,こういうやり方はない。ゲームをいくつか考えた。
  ゲーム1 教室の中に,「寒帯」「温帯」「熱帯」を作って,境目をマークする。子どもたち1人1人に「皇帝ペンギン」「フンポルトペンギン」というような看板をつけてもらう。そしてそれぞれ住んでいる場所に移動して,かたまって座ってもらう。
  ゲーム2 ペンギンハンドブックを作る。世界地図の中にペンギンの絵を貼っていく。」
ジュリーC(公務員,カリフォルニア。20年前に台湾から移住した女性です。「休みには,旅行して買い物なんかしているより,こういうボランティアをしていた方がいい」という言葉が印象的でした)
 「絵とかグッズが必要だと思った。ペンギン,オオウミガラス,ウミガラス,カラス,カモメ,その他の海鳥。どうしたらオロロンチョウが増やせるのでしょう。それを子どもたちにも考えさせたらいいのでは。」
バーバラ(元小学校教員,カリフォルニア。おっとりとしたおばあさん。「英語がわかったふりをしちゃだめ。わからなかったら,ちゃんと聞きなさい」とアドバイスしてくれました) 
 「「寒帯」「温帯」「熱帯」ということばを,授業を始める前に理解させておいた方がいいと思う。」
ケン(アルミニウムのアルコアの社員,スリナム。鉱山技師です。ずっと土の検査の仕事をしていました。困っている人に,さっと手をさしだすやさしい人です) 
 「むずかしい言葉を子どもたちにどう説明したらいいか。それを考えないといけない。絵とをもっとはっきりさせて。もっと絵がほしい。」
アナ(アルコアの社員,スペイン。会社のファイナンスの仕事をしている。「バルセロナは,スペインとは違う」という言葉が印象的でした)
 「もっと人間がやったこととかの説明をくわしくした方がいい。もっとオロロンチョウが減ったことをはっきり説明した方がいい。そうすると,もっと印象的にその事実を子どもたちが受け止めるだろう。そしてもっとたくさん疑問を持つだろう。」
ジュリー先生 「子どもたちに,「自分たちは環境のために何がやれるか」を考えさせるといいと思う。例をあげて。たとえば,「ゴミを捨てるんではなくて,リサイクルすることはできないか」とか。」
ホリ(小学校教員,日本)
 「日本とアメリカの共通点に目を付けたのがおもしろいと思いました。また身近なペンギン(子どもたちにとっては)を題材にしているのもいいです。 「生き物の数が,人によって左右されている」と知ったら,子どもたちはどう思うでしょう。きっと「人はいけないことをしている」と感じるでしょう。ではどうするか?具体的な事例を集めるのがいいと思います。写真,ビデオ,なんでもいいと思います。ただ,それを活動にむすびつけるかどうかは議論が分かれると思うところです。私は,やはり五感,体に訴えるべきだと思います。体を使って感じたり実際にボランティアに参加したりできるといいと思います。井藤さんも,子どもを巻き込んだ活動を考えられるのもおもしろいのではないでしょうか。私はよく子どもたちを外に連れ出します。そして天気,植物の話をしてあげます。それが第一歩かなと思います。すごい資料とチャレンジ精神,井藤さんをこれからの私のお手本にしたいです。ありがとうございました。」
ノブ(私)
 「みんな,すごいいい感想文です。改めて読んでみて感動しました。  「ペンギン」やその他海鳥についての知識は,日本人もアメリカ人もスペイン人もみんな同じでした。同じようにわかっていなかったです。それもびっくりでした。」

 アメリカに行って,いろいろなことがありましたが,やはり私にとっては「《ペンギン》を授業した」というのがいちばん大きな思い出になりました。
9 今後,日本での活動にどう生かしていくか
9月4日、学校で開いた報告会
報告会での感想文
 最終日,島を別れるとき,ジュリー先生がこう言いました。 「今回のメンバーは,本当にすばらしかった。私が今までに出会ったグループの中で最高だった」と。
 そうです。私たちのグルーブは,自慢できます。授業には参加しなかった3人のメンバーも個性的でした。クリスティン(カリフォルニアの高校生)は,ずっとカモメの糞を集めて分析していました。アン(メイン州の中学教師)は,お世話になった人へのカードを作ってくれて,みんなで寄せ書きをしました。ジェフ(ボストンの高校教師)は,私とホリにカモメの観察の仕方をつきっきりで教えてくれました。
 そんな10人は,8日間,国籍も肌の色も言葉も越えて語り合えました。ボストン名物のクラムチャウダーのように混じり合うことができたと思います。

 環境問題は,国境を越えて地球全体の問題になっています。海も空もつながっているのです。特に「海鳥とゴミ」の問題は,アメリカも日本も同じでした。
 そこで,これから私がやりたいことは,3つです。
 《ペンギン》のプランを,自分のクラスはもちろん多くのクラスで実施したい。
 北海道の海鳥の現状ももっと調べたい。特にオロロン鳥について。
 豊田市新・環境学習施設のボランティアの中で,今回の経験を生かしたい。 そんな思いを忘れないようにして,まずはショール海洋研究所でとった写真をあちこちに貼って,日本での第一歩を踏み出したいです。


(資料)《Penguins》アメリカでの授業記録
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